私は子供たちとクリスマスの準備をするとき、クリスマスは神の独り子である主イエスが誕生されたことをお祝いする日だけど、イエス様は何時頃お生まれになったのかなと聞くことがあります。子供たちは皆真夜中の12時頃とか明け方早くと答えます。そして誰も昼の12時頃とか午後3時頃と答える子はいません。皆イエス様がお生まれになったのは夜だった、真夜中だったと感じています。どうしてそれがわかるのでしょうか。それは星です。星が出ていたから、闇の中で星が一段と輝いていたからです。聖書の中のヨハネ福音書の初めには「その光はまことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」と書かれています。私たちの中にある闇をその光で照らすために神の独り子は人となって私たちのもとを訪れてくださった、それがクリスマスの意味です。
私たちが生活しているこの社会の現実は、不正や争い、戦争が絶えません。これは聖書の時代から現在に至るまで共通した現実です。そしてこれらの根をたどっていけば、やはり一人ひとりの自己中心的な思いに行きつきます。大切な人、また家族なのに傷つける言葉しか出てこない。止めたいのに悪い習慣を止められない。これがわたしたちの現実です。この分かっていても抜け出すことができない私たちの現実を変えていくためには、それを正す言葉だけでは足りません。その弱さが受け止められ、あたたかく支えられることが必要です。クリスマス、神の子であるキリストの誕生が意味することは、私たちに正しさを求めるだけの神のイメージを越えて、へりくだり、ゆるしに満ち、私たちと同じ姿で私たちの中に神が来てくださった、そのことを意味します。
そのことを一番身をもって感じたのは最初にその誕生の場所を訪れた羊飼いたちだったと思います。貧しく蔑まれながらも寄り添いあいながら生活していた羊飼いたちは、馬小屋の飼い葉桶に寝かされた幼子を訪ね、「神をあがめ、賛美しながら帰って」いきました。この羊飼いたちの喜びはどういう喜びだったのでしょうか。それは救い主がこんなに近くに自分たちと同じように貧しく無力な姿で来てくださったという喜びです。自分たちは神から見放されているのではない。神はこんなに小さく貧しいかたちでこんなに近くに来てくださった。これが本当のクリスマスの喜びです。私たちも羊飼いたちと同じようにクリスマスの本当の喜びを味わうことができるように共に祈りたいと思います。
父である神よ、今日私たちは真の光である主の誕生を共に祝い祈るために集まります。どうか闇の中を歩んでいる私たちをまことの光で照らしてください。神の私たちへの無償の愛を知り、真のいのちを生きる力を見出すことができますように。